高低差速報

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    • 1: 高低差速報
      2018年10月10日、観察者網によると、スウェーデンで今月末、「気持ち悪い食べ物」を展示する世界初の博物館が3カ月限定でオープンする。
      陳列される約80点のうち、最多を占めるのが中国の食べ物だそうだ。

      博物館の開設先は同国南部に位置するマルメ。
      世界中から集められた展示物には日本の納豆もあり、中国からはピータン、臭豆腐、ウサギの頭を使う麻辣兔頭、ネズミの赤ちゃんを漬ける老鼠酒などが選ばれた。
      この他、臭さで知られるスウェーデンのシュールストレミング、東南アジアのドリアン、グアムのコウモリの丸焼き、メキシコのアリの卵、インドネシアのネコの糞から採られるコーヒー豆「コピ・ルアク」なども陳列される予定。
      展示物は臭いを保つために医療用容器に入れられるという。

      館長のSamuel West氏によると、この博物館の目的は「文化の違いに対する人々の思考を引き出すこと」で、
      同氏は「ある文化的背景を持つ人にとって気持ち悪い食べ物が、別の文化を持つ人には美味になることだってある」とコメント。
      さらに、「『持続可能な』タンパク質の源をみなさんに試してみてほしい」と昆虫を食用とすることへの関心も呼び掛けている。

      中国のネットユーザーはこのニュースに数多くのコメントを寄せており、「ピータン?あんなにおいしいのに」「ピータンのどこが悪い?」
      「なぜドリアンが?」「よだれが出ちゃった」「入場券は試食代込み?」などの声が聞かれた。

      スウェーデンに「気持ち悪い食べ物博物館」、中国から最多、日本のアレも選ばれる―中国メディア
      引用記事:https://www.recordchina.co.jp/b652152-s0-c30-d0063.html
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    • 1: 高低差速報
      人手不足が深刻さを増す中、従業員の負担軽減につなげようと、大手牛丼チェーンの「吉野家ホールディングス」は、およそ4割の店舗を客が料理を自分で運ぶセルフサービス方式に切り替えることになりました。

      吉野家ホールディングスは、ことし8月までの中間決算を5日発表し、コメなどの原材料費の高騰や人手不足に伴う人件費の増加で8億5000万円の最終赤字になりました。中間決算での最終赤字は8年ぶりです。

      こうした中、河村泰貴社長は記者会見で、吉野家の店舗の4割に当たるおよそ500店について来年から5年かけて、客がレジで注文をして自分で料理を運ぶセルフサービス方式の店舗に切り替える方針を明らかにしました。

      吉野家では、これまで一部の店舗にセルフ方式を導入して検証したところ従業員の歩数が4割減るなど負担の軽減につながったほか、従来よりも客席を広くしたことで売り上げも増加したということです。

      河村社長は「5年、10年先を見据え、おいしい牛丼を提供するだけでなく、ゆったりと食事を楽しんでいただくことで競争に勝ち抜いていきたい」と述べました。
      引用記事;https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181005/k10011660381000.html
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    • 1: 高低差速報
      ■わずか7年で会社を激変させた

      東京・天王洲アイルの風景が一変している。
      散歩道のある運河には水上ラウンジを併設するレストランも整備され、街中はアート作品がずらりと並ぶ。
      茫漠とした倉庫街は、洒落たアートの街へ変貌を遂げた。
      再開発を主導したのは、「寺田倉庫」という倉庫会社だ。

      「日本のアートコレクターで、寺田倉庫を知らない人はいませんね。
      ファッションECサイトを運営するスタートトゥデイの前澤友作社長が、現代アートの巨匠、バスキアの作品を123億円で落札したことが少し前に話題になりました。
      の作品が預けられているのが寺田倉庫と言われています。
      他にも、世界の富豪たちがコレクションする時価数十億円クラスのアートの数々が、この倉庫で大切に保管されています」(都内の画廊経営者)

      アートだけではない。
      ソムリエの厳重な管理のもと、フランス・ボルドーの5大シャトーをはじめ数百万円クラスの高級ワインの数々が倉庫に眠る。
      同社は戦後間もない'50年に創業された。
      当初は食料品を預かる一般的な倉庫業だったが、機能を「プレミアム倉庫」に特化させ、ファッショナブルなビジネスに変貌したのは、わずか7年前のこと。
      主導したのは代表取締役の中野善壽氏(73歳)である。

      創業家である前会長(現オーナー)の寺田保信氏に請われて、2011年に社長に就任した。
      台湾に住み、週2回だけ飛行機で日本に戻り、天王洲の本社に出勤する。
      世界中のアーティストから「パトロン」といわれる中野氏の名は、物流関係者やアート関係者の間で広く知られる。
      だが、ほとんどメディアの取材を受けないため、社員ですら「一時期まで、実在する人物なのかわからなかった」と語るほど、謎めいた人物である。

      台湾メディアに掲載された中野氏の近影を見ると、清潔に整髪された黒髪で、ジーパンがよく似合う細身。
      身長は181cm。
      とても73歳には見えない若々しい風貌で、清潔感溢れるシンプルな着こなしは、米アップルの故スティーブ・ジョブズを思わせる。

      「中野さんは、『ミニマリスト』として有名なんですよ」と語るのは、ある寺田倉庫の関係者だ。
      「社長に就任してまず手を付けたのは、大規模なリストラでした。
      メイン事業のほとんどから撤退し、700億円あった売上高を100億円まで激減させた。
      1000人いた社員を、100人に削減。中野さんの就任当時にいた社員は、いま10名も残っていないのです」

      寺田倉庫は中野氏の社長就任で、事業も人員も一変するという、〝断捨離〟が実行されたのだ。
      「売り上げは100億円くらいがちょうどいい。これ以上、大きい会社なら、面白いことなんてできないぞ」
      中野氏は就任直後、社員たちにこう話したという。
      その後、法人相手だったビジネスを、富裕層、そして一般消費者にも広げていった。
      アートやワインの保管のほかに、ネット上で自分の預けたものを管理できる「ミニクラ」という貸しトランクルーム事業を推進するとこれがヒット。
      収益構造を安定させたのだ。

      「ミニクラはネット上で預けたものを売買することもできる優れたサービスで、モノを持たない生活を推奨するような事業です。
      まさにミニマリストの中野さんらしい発想です」(流通関係者)

      寺田氏は、売上高100億円を常にキープしたいと公言。
      それを超えたら事業を売却するという。

      ■建築家の隈研吾氏や寺田倉庫のオーナーが明かす

      寺田氏は、私生活でもミニマリズムを通している。
      家も車も腕時計も持たない。ワインを手がけるのに、酒も飲まない。
      もちろんタバコも吸わない。
      蓄財にも興味がなく、稼いだカネは必要最低限を残して、ほとんどを寄付してしまうというのだ。
      中野氏の親友で建築家の隈研吾氏が言う。

      「そもそも彼には公私の区別などないはずです。
      自分の好きなことや、やりたいことに仕事もプライベートも関係ない。
      街づくりやアートの支援に稼いだおカネを寄付してしまうのも、自分の夢がそこにあるから。
      自由奔放に見えるけど、経営センスもあるのだから、ドリーマーにして、リアリスト。あまり日本では見たことのない経営者です」
      引用記事:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57447
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    • 1: 高低差速報
      セキュリティおよびIT運用サービスの米Splunkは、10月1日~4日までの4日間、米フロリダ州オーランドのウォルトディズニーワールド・スワンアンドドルフィンリゾートおよびESPN Arenaで、年次カンファレンス「.conf18」を開催。その最終日の基調講演に、Appleの共同創業者であるスティーブ・ウォズニアック氏が登壇した。



      スティーブ・ジョブズ氏とともにAppleを創業する以前は、Hewlett-Packard(HP)に在籍していたウォズニアック氏だが、「かつて、コンピュータは、米国に6台しかなかった。しかも、1台あたりが100万ドルもして、誰もが使えるものではなかった。私は、1人1人がコンピュータを持っていたら世界が変わると考えた。多くの人が利用できるコンピュータを作りたいと考えた。

       だが、当時はそんなことは誰も考えなかった。いまのような、コンピュータで映画をみたり、音楽を聞いたりといった時代が訪れることもとても考えられなかった。私は、HP時代に、ここにいて、エンジニアで一生を過ごすだろうと思っていたが、それでも、いまから、5年後、10年後、50年後にはどんな世界にしたいのか。テクノロジーで人の生活を変え、人の生活を豊かにすることを考えてきた。その1つがパーソナルコンピュータだが、この企画は5回も拒否された」などとした。

       HPには、14カ月間連続で稼働するバッテリ技術があり、ウォズニアック氏は、それを使って犬がどこにいるのかを知ることができるといったデバイスも考えたが、これを「成功するとは思ったが、却下された企画」の1つにあげた。そして、「このときには、意味がないようなさまざまなプロジェクトも数多く経験した」と振り返る。

      スティーブ・ジョブズ
       だが、こうしたウォズニアック氏の動きに、ずっと着目していたのがスティーブ・ジョブズ氏だ。

       「彼は、古くからの友人であり、彼が16歳のときに、私の家にやってきて、子供たちが遊ぶように一緒にコンピュータで遊んだ。だが、ジョブズは、コンピュータのことはまったく知らなかった。しかし、ジョブズは、学生の頃から、20ドルをかけて作ったPCを40ドルにして売る才能を持っていた。そして、私はコンピュータをいじるのが大好きだった。在籍していたコンピュータクラブでインスピレーションを受けたら、それをかたちにしたいということだけを考えていた。Appleはそこから始まった」

       Appleにとって、最初に大きな収益を得た製品は、Apple Ⅱだった。

       「ジョブズは、たまには強引なところもあったが、マーケティングには長けていた。ビジネスの重要さは、エンジニアにはわからないが、そこをジョブズはよくわかっていた。エンジニアは、人々が求めているものを開発したり、いいものを作ったりすることに集中するが、ジョブズは、ビジネスには必ず利益が伴わないといけないことを理解していた。その姿勢はずっと同じで、iPhoneも技術的に優れていることはもちろん、エレガントで美しいデザインをしていたのはその証だ。エンジニアだけでは作れないものを作った。それは、ビジネスとして成功させるためにはなにが必要かということをしっかりと理解していたからだ」とする。

       ウォズニアック氏とジョブズ氏は、同じスティーブという名前でありながらも、やることは対極的だ。

       「私は、人と話すのが怖かった、研究室に籠もって、好きなことをできることがうれしかった。それが、Appleを創業した理由にもなっている。エンジニアとして、人々の生活を向上させることができればいいと考えており、それに集中した。だが、ジョブズは、世界中から注目を集める人になりたかった。これが彼のモチベーションになっていた」とする。

       ウォズニアック氏は、「Appleでは、多くのお金が入ってきたが、私は、金持ちにはなりたくなかった。お金のことはまったく興味がなく、よいものを作りたいということだけを考え続けた。根っからのエンジニアであった」とも語る。

       ウォズニアック氏は、Appleが株式公開をする際に、自らの所有していた株式の一部を社員に譲渡する仕組みを作ったエピソードも披露。これによって、多くの社員が、家を購入することができたり、子供を大学に通わせたりできるようになったという。お金に固執しない性格を物語るエピソードの1つだ。
      引用記事:https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1146756.html
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