高低差速報

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    世の中


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    「有名大学でなければ、大学に進んでも意味がない」「いまは学歴より『手に職』が重要だ」。よくそういわれるが、いずれの認識も間違っている。有名大学でなくても、成績が優秀でなくても、大学で勉強した人ほど所得は増えているからだ。では、なぜこうした誤解が拡がっているのか。東京大学の濱中淳子教授が考察する――。

    文系学部は本当に要らないのか
    2015年6月8日、文部科学省は全国の国立大学法人に対し、教員養成系学部や人文社会科学系学部の廃止や組織改編を求める通知を出した。社会的要請を踏まえた改革を促したいという意図からのものだったというが、「廃止」という言葉のインパクトが強すぎた。通知が出されてからというもの、「文系不要論」に物申す有識者たちの声がマスコミや出版界などで取り上げられるようになる。

    たとえば、東京大学副学長だった吉見俊哉氏は、著書『「文系学部廃止」の衝撃』(集英社新書、2016年)のなかで、「文系の知は、既存の価値や目的の限界を見定め、批判・反省していくことにより新しい価値を創造することができる知」(110ページ)だと指摘する。そのうえで「そこには(理系に特徴的な手段的有用性ではなく)価値創造的な次元があり、それは長期的に『役に立つ』知」(同ページ)だという。なるほど、価値多元性が重視される昨今である。有識者の目からすれば、文系学部の意義はますます高まっているといえるかもしれない。

    とはいえ、一般社会の感覚は、むしろ文部科学省の通告に近かったのではないか。吉見氏自身、同書のなかで、文系軽視の姿勢は戦中・戦後から続くものだったと述べている。「先進諸国に対抗するためには技術革新に寄与する理系を拡充したほうが良い」「理系は儲かるが、文系は儲からない」「必要ないとまでは言わないが、実際のところどれほど役に立つのかわからないのが文系だ」――中央官庁といえども、独り善がりの政策を提示することはできない。今回の通告は、私たちがおぼろげに抱いていた感覚と文部科学省の判断がリンクしたからこそ、形になってあらわれたものだったように見受けられる。

    では、こうした文系不要論に対して、データは何を教えてくれるのか。ひとつの検証結果を紹介しよう。

    「ガリ勉」ほど卒業後の所得がマイナス
    まず、図1をみてもらいたい。これは、理系(工学系)と文系(経済学系)それぞれの分析結果をイメージ化したものである。「大卒時知識能力→現在知識能力→所得」と続くプラスの関係が、学び習慣仮説の強調する経路(パス)になるが、第1の点として注目したいのは、「大卒時知識能力」と「所得」のあいだにひかれているパスだ。経済学系にはマイナス効果が認められ、すなわち、大学時代に学習を積んだ者ほど、低く評価されてしまうことを意味している。総体的にみれば、それ以上に強い学び習慣のプラス効果ゆえに、大学での学習に意味はあるという結論が導かれる。けれども同時に、就職してからなんらかの理由で学習をやめた者にとっては、マイナスの効果だけが残る。「大学時代の余計な知識は邪魔だ」と言われかねないのが、経済学系の世界なのである。
    no title


    次いで第2に指摘しておきたいのが、キャリア段階による効果の違いについてである。図2は、図1と同様の分析をキャリア段階別に行った結果だが、「大卒時知識能力→所得」のマイナス効果が、シニア期ではみられなくなっている。加えて、「大卒時知識能力→現在知識能力」とのあいだのパス、「現在知識能力→所得」のあいだのパスが、経済学系では強化されるという結果も抽出された。
    no title


    いずれにしても、文系の効果は、時間が経つとともにゆっくりとあらわれる。学問として長期的視野からの評価が必要であるのみならず、個人のキャリアのなかでもそれなりのスパンのなかで意義を考えなければならないのが文系なのだ。
    http://president.jp/articles/-/22243?page=3

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    kouteisa
     

     独連邦議会の野党「左翼党」幹部のグレゴール・ギジ氏(Gregor Gysi)は先日、独国営放送ZDFのマルクス・ランツ司会の娯楽番組に出演し、そこで「自分は神の存在を信じていないが、神なき社会を恐れている。キリスト教会が主張するような価値観で構築された世界が全く存在しない世界に恐怖を感じるのだ。資本主義も社会主義もその恐怖心を取り除くことができるものを有していないからだ」という趣旨の話をしている。

     ギジ氏(69)は1989年に東ドイツの支配政党であったドイツ社会主義統一党が改組して結成された民主社会党の初代議長に就任し、東西両ドイツの再統合後も左翼党をリードしてきた政治家だ。典型的な無神論者だが、その無神論者が神なき社会の台頭に一種の懸念を有しているというのだ。独メディアは「無神論者、宗教を守る」という見出しで同ニュースを報じているほどだ。

     そういえば、“神なき社会”への懸念を表明する知識人が増えてきている。「素粒子」などの代表作が日本語にも翻訳されている仏人気作家ミシェル・ウエルベック(Michel Houellebecq)氏もその一人だ。彼はドイツ週刊紙「ツァイト」とのインタビューの中で、「宗教なき社会は生存力がない。自分は墓地に足を運ぶ度、われわれ社会の無神論主義にやりきれない思いが湧き、耐えられなくなる」と率直に述べているほどだ。

     ウエルベック氏(60)の「神なき社会にやりきれなさを感じている」という台詞は、ギジ氏の嘆きに通じる世界がある。ちなみに、同氏の最新小説「服従」は、次期大統領選に関する近未来小説として話題を呼んだことは記憶に新しい。

     2022年の大統領選でイスラム系政党から出馬した大統領候補者が対立候補の極右政党「国民戦線」マリーヌ・ル・ペン氏を破って当選するというストーリーだ。フランス革命で出発し、政教分離を表明してきた同国で、将来、イスラム系政党出身の大統領が選出されるという話だ。

     教会が生き生きしていた時、無神論者も多分、積極的に神を攻撃できたが、教会が勢いを失い、信者が脱会する時、無神論者は勝利の歌を歌うのではなく、教会の行く末、神の行く末に懸念し、神なき社会の台頭にひょっとしたら教会関係者以上に心配し出しているのだ。


     ドストエフスキーの小説「カラマーゾフの兄弟」の主人公の一人、イワンが「神がいなければ、全てが許される」と呟く箇所がある。無神論者はイワンのように神がいなければ全てが許されると考えても不思議ではないが、実際、神のない社会が台頭すると、「そのやりきれなさに耐えられなくなる」という声が彼らの口から飛び出してくるわけだ。

     もちろん、神を信じる敬虔な信者や聖職者たちから神を否定する社会の台頭に危機感を持つ声は出ているが、喧騒な世俗社会ではその声は消されてしまっている。「神はいない運動」が欧州を席巻し、「神は死んだ」というフェイク・ニュースが社会に事実として定着している。

     “神なき社会”に対し、ギジ氏は「資本主義も社会主義も十分ではない」と認めている。ギジ氏の嘆きは無神論者としての勝利の余裕から飛び出した台詞だろうか、それとも救いを求める叫びだろうか。ひょっとしたら、欧州の世俗社会は今、無神論者が宗教の役割を再評価する時代圏に入ってきたのだろうか。

    http://vpoint.jp/world/eu/81816.html



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    ★「上司に責められ、落ちこぼれ扱いに」会社員・39歳男性

    「その次の波は35歳のときですね。そこで結婚できなかった僕は落ちこぼれ扱いです。
    上司は、『結婚していないから、オマエは仕事に責任感がもてないんだ』と責める。
    成績からいったら、それほど悪くないはずなんですが、『信用がおけないと思われるんだよ
    独身男は』とも言われる。これってモラハラだと思うけど、そういうことを言うと
    独身だから甘えてると……」(ユウイチさん)

    昔は「男は結婚してこそ一人前」という価値観があって、「結婚して身を固める」という
    言葉も使われていた。今は死語と化していると思っていたが、企業の中にはまだそうした
    価値観が生き残っているようだ。

    「女性社員は、けっこう独身が多いんですよ。いくつかの部署では女性部長もいるし
    独身だろうが既婚だろうが、そこに会社側からの圧力はない。でも、男にはあるんです。
    独身男性が少ないから、声を上げることもできません」(ユウイチさん)

    結婚するもしないも個人の自由だと思うが、それが通用しない場所が存在するということだ。
    男もまた、生きづらいなあと痛感する。


    ★「結婚が当たり前」という価値観に疑問符

    「結婚するのが当たり前で、それができない人間は一人前ではない」という価値観は、なんとも不思議だ。

    独身の人には「どうして結婚しないの?」と尋ね、離婚した人には「なぜ離婚したの?」
    と聞くが、結婚していく人に「どうして結婚するの?」と言う人はいない。それは、結婚が
    絶対的な「いいこと」という価値観であり、「当たり前」だからだ。だから、それをしない
    人や壊した人には「どうして?」と尋ねるが、当たり前のいいことをしようとしている人には
    問う必要がないのだろう。むしろ、問うべきではないし、問うほうがおかしいと思われるかもしれない。

    しかし、ひとりで生きようが、ふたりで生きようが、相手が異性だろうが同性だろうが、
    「その人のありよう」として受け止めればいいだけのことではないのだろうか。

    https://news.nifty.com/article/item/neta/12101-20261/




     
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