高低差速報

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    1: 高低差速報
    1日19時間勉強した人の「努力の結果」

    目標に向かって努力することの大切さはほとんどの人がわかっているはず。
    だからこそ、一年の始まりや、何かの節目ごとに目標を掲げたり、夢を語ったりして意気込むわけですが、
    いざ走り始めてみるとそこには様々な誘惑や障害が待ち受けているわけで…。

    『天才とは努力を続けられる人のことであり、それには方法論がある』(扶桑社/刊)の著者で、
    弁護士・タレントとして活躍中の山口真由さんは、東京大学を首席で卒業。在学中に司法試験、
    国家公務員Ⅰ種に合格するという驚異的な頭脳の持ち主です。
    こういったずば抜けて優秀な人に対して、私たちは「天才」「もともとの頭のデキが違う」と思ってしまいがちですが、
    ご本人によればそうではなく、山口さんは最高で1日19時間もの勉強を自分に課した「努力の人」だと言います。
    一体彼女はどのように、目標に向かって努力を続けてきたのでしょうか。

    ■努力はまわりに見せる
    失敗した時のはずかしさが嫌なのか、人に見せないようにこっそり努力する人がいますが、
    山口さんいわく「努力はまわりに見せる」方がいいとのこと。
    日本社会は比較的、結果だけでなく努力そのものも評価してくれるという特徴があります。
    努力しているところを見た人から「がんばってるね」「よくがんばったね」などねぎらいや励ましを受けやすいのです。
    これに対して「陰の努力」は誰からのねぎらいもありません。自分のやっている努力に対して誰からも評価されないため、
    挫折しやすくなってしまうのです。
    http://www.sinkan.jp/news/4272



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    1: 高低差速報
    「有名大学でなければ、大学に進んでも意味がない」「いまは学歴より『手に職』が重要だ」。よくそういわれるが、いずれの認識も間違っている。有名大学でなくても、成績が優秀でなくても、大学で勉強した人ほど所得は増えているからだ。では、なぜこうした誤解が拡がっているのか。東京大学の濱中淳子教授が考察する――。

    文系学部は本当に要らないのか
    2015年6月8日、文部科学省は全国の国立大学法人に対し、教員養成系学部や人文社会科学系学部の廃止や組織改編を求める通知を出した。社会的要請を踏まえた改革を促したいという意図からのものだったというが、「廃止」という言葉のインパクトが強すぎた。通知が出されてからというもの、「文系不要論」に物申す有識者たちの声がマスコミや出版界などで取り上げられるようになる。

    たとえば、東京大学副学長だった吉見俊哉氏は、著書『「文系学部廃止」の衝撃』(集英社新書、2016年)のなかで、「文系の知は、既存の価値や目的の限界を見定め、批判・反省していくことにより新しい価値を創造することができる知」(110ページ)だと指摘する。そのうえで「そこには(理系に特徴的な手段的有用性ではなく)価値創造的な次元があり、それは長期的に『役に立つ』知」(同ページ)だという。なるほど、価値多元性が重視される昨今である。有識者の目からすれば、文系学部の意義はますます高まっているといえるかもしれない。

    とはいえ、一般社会の感覚は、むしろ文部科学省の通告に近かったのではないか。吉見氏自身、同書のなかで、文系軽視の姿勢は戦中・戦後から続くものだったと述べている。「先進諸国に対抗するためには技術革新に寄与する理系を拡充したほうが良い」「理系は儲かるが、文系は儲からない」「必要ないとまでは言わないが、実際のところどれほど役に立つのかわからないのが文系だ」――中央官庁といえども、独り善がりの政策を提示することはできない。今回の通告は、私たちがおぼろげに抱いていた感覚と文部科学省の判断がリンクしたからこそ、形になってあらわれたものだったように見受けられる。

    では、こうした文系不要論に対して、データは何を教えてくれるのか。ひとつの検証結果を紹介しよう。

    「ガリ勉」ほど卒業後の所得がマイナス
    まず、図1をみてもらいたい。これは、理系(工学系)と文系(経済学系)それぞれの分析結果をイメージ化したものである。「大卒時知識能力→現在知識能力→所得」と続くプラスの関係が、学び習慣仮説の強調する経路(パス)になるが、第1の点として注目したいのは、「大卒時知識能力」と「所得」のあいだにひかれているパスだ。経済学系にはマイナス効果が認められ、すなわち、大学時代に学習を積んだ者ほど、低く評価されてしまうことを意味している。総体的にみれば、それ以上に強い学び習慣のプラス効果ゆえに、大学での学習に意味はあるという結論が導かれる。けれども同時に、就職してからなんらかの理由で学習をやめた者にとっては、マイナスの効果だけが残る。「大学時代の余計な知識は邪魔だ」と言われかねないのが、経済学系の世界なのである。
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    次いで第2に指摘しておきたいのが、キャリア段階による効果の違いについてである。図2は、図1と同様の分析をキャリア段階別に行った結果だが、「大卒時知識能力→所得」のマイナス効果が、シニア期ではみられなくなっている。加えて、「大卒時知識能力→現在知識能力」とのあいだのパス、「現在知識能力→所得」のあいだのパスが、経済学系では強化されるという結果も抽出された。
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    いずれにしても、文系の効果は、時間が経つとともにゆっくりとあらわれる。学問として長期的視野からの評価が必要であるのみならず、個人のキャリアのなかでもそれなりのスパンのなかで意義を考えなければならないのが文系なのだ。
    http://president.jp/articles/-/22243?page=3

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    1: 高低差速報
    終戦直後の感覚を取り戻すべきだ

    心理学の理論に、アンカリング効果というのがあります。
    子育て一式3000万円。これがひとつの指標(アンカー)となってしまい、発想がここから抜けだせません。

    不況下においても、結婚式の相場は平均354.9万円、などと煽るメディア・雑誌がある限り、それがひとつのアンカリングポイントとなってしまいます。
    そして、若者は結婚なんて到底無理でしょ、と考えます。不当に釣り上げられたアンカリングポイントを基準にして、
    自分たちの現状とのギャップを考えてしまって絶望するのです。

    しかし終戦直後などは、日本人はもっと貧乏で、子供だって5人も6人もいました。
    それでも、子供は育てられます。というか育ちます。生き物ですから、食べ物さえあれば育ちます。

    現在でもある種のカップルは、すぐに結婚して子供をたくさんつくります。
    それは、彼らの頭の中にはこのようなアンカリングポイントが存在しないからです。

    年収350万円のひとが子供を持つには、発想の転換が必要です。塾や習い事もなし、大学はいかないか、ネットでタダのもので学ぶ。
    大企業に入ることは諦める。単に子供が育てばよい。それで満足する。それでも子供を持つことの喜びは計り知れないでしょう。
    私たちはもう一度、終戦直後の感覚を取り戻すべきです。

    若者は貧乏になったのですから、貧乏でも子供をうめるように発想を転換していくべきです。
    子育て費用3000万と脅して、定職に就けない親は欠陥品であるかのように非難するよりも、
    年収300万でも子供は育つ、大学にいかなくても子供はタヒなない、といったことを啓蒙するほうがはるかに有意義でしょう。
    国や経済が衰退するというのは、こういうアンカリングポイントを多くの人が不用意に受け入れるということです。(大石哲之)
    http://www.j-cast.com/kaisha/2014/10/16218490.html?p=all


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